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16件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1982-07-01 第96回国会 参議院 外務委員会 第12号

私は、安部磯雄先生に質素なる生活、永遠の心という教えを受けましたが、大逆事件や何かいろいろな波乱万丈の中にいて、一貫して社会主義の道を守った安部磯雄さんには特徴的なものはないけれども、実証主義的な政治形態を早稲田の伝統につくった点においては、大山郁夫教授と同じく、小野梓先生と同じく、非常に私はりっぱなものが残されていると思います。  

戸叶武

1974-12-23 第74回国会 参議院 法務委員会 第1号

依然として重大な疑惑が解明されないまま処刑をされたということについて、私は彼のためにもかわいそうに思うし、ほんとうに心の痛む思いがするのですが、大逆事件を思い出さざるを得ないということさえ言われている。  ところで、この事件に関連をして、なぞの解明について聞きたいことは山ほどあるのですが、これはまた次回の法務委員会に回すとして、赤不動病院の捜索について端的にお伺いしておきたいと思うのです。

橋本敦

1967-07-14 第55回国会 衆議院 法務委員会 第33号

何だか新聞によりますと、原敬の日記だの、それからもう一つ平沼騏一郎回顧録、そういうものには、そのときに自分たちは彼ら大逆事件の連中を殺さなければならなかったという事情が書いてあるそうです。私それは見たことがないのですけれども新聞にははっきり原敬平沼騏一郎の名前が出ています。それは軍の要請あるいは強制によって、死刑ということを決定したということが考えられる。

神近市子

1966-03-04 第51回国会 衆議院 法務委員会 第11号

それこそ親切が欠けているということ、そのために再審は――ごらんなさい、大逆事件坂本清馬というのは何十年間再審を願い出て、もう九十歳近い人が一生懸命やっている。そういうときに、少し人間的なものをあなた方はお持ちになることができないのかどうかというように考える。再審が排撃された近い例は徳島のラジオ商殺し事件でしょう。

神近市子

1964-02-27 第46回国会 衆議院 法務委員会 第7号

寺田最高裁判所長官代理者 いまお尋ねの点でございますが、先般吉田老のときにも、当時の名古屋高等裁判所におきましては、御本人が非常に老齢であられるということを考慮しまして特別の計らいで非常に手続きを進めたというふうに、これは仄聞しておるわけでございますが、ただいま神近委員指摘大逆事件関係の事件につきましては、これは私、直接にいま詳細な資料を調べて持ってまいったわけじゃございませんが、聞いておりますところによりますと

寺田治郎

1964-02-27 第46回国会 衆議院 法務委員会 第7号

神近委員 この大逆事件が、日本軍国主義時代に巻き起こされた非常に怪しげな事件だということはもう歴史的に証明されているのです。それで私はほんとうに親切な審理が行なわれるならば、これは無罪になるのではなかろうかというようなことをだれもかれも描いているわけなんです。それで万一これが無罪ということになったときに、この再審を請求していた人は二人でありました。

神近市子

1964-02-27 第46回国会 衆議院 法務委員会 第7号

神近委員 私の頭にきているのは、おっしゃるとおりにまだ審理中で再審の過程にありますけれど、背、私どもがまだ女学生のときに大逆事件という事件があったのです。この坂本清馬という人はいま八十二歳なんですよ。かなり老衰しておられるから、あしたにもどうかというふうな老齢になっていられる。それがまだ再審が遅々として進んでいない。

神近市子

1963-06-06 第43回国会 衆議院 法務委員会 第20号

そうしますと、大逆事件のところは確かにあるのだけれども、四、五枚のところ白紙になっているというわけです。結局、検討してみたものの、戦時中で結論が出ないまま白紙になっておるというお答えでございました。宮内庁編纂官芝葛盛とおっしゃる国学者の方で、そのための資料宮内庁の図書館の中に保存されているはずでございます。

神崎清

1963-03-22 第43回国会 衆議院 法務委員会再審制度調査小委員会 第2号

猪俣委員 今裁判官の官僚性相当論じられて私ども同感でありましたが、あなたも検事の肩書を持っておられる検事出身者であられますが、実は明治大正にわたりまして天皇政治が極端な時分天皇の名における裁判時分、そういうことに対して幸徳秋水大逆事件なんというものが今再審のあれになっているわけです。それから先ほど説明されました占領中における裁判、これに対して相当再審の道の要が出てきた。

猪俣浩三

1958-03-18 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第16号

長官はそういう点はぜひ変えていきたいということでありますから、二重橋というものは日本一つの歴史的なものでありまして私はこれをどうこうとは思いませんが、ほかの門ぐらいはもっとフリーな状態で——むしろ天皇に対する国民の考え方はあの圧政の道具とされたときには大逆事件がありあるいはいろいろな事件が陛下に対してもありましたが、終戦後どこにいらっしゃってもおそらくそういうことはないと思う。

茜ケ久保重光

1955-12-14 第23回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第3号

あるいはまた「幸徳秋水」、これは明治大帝暗殺大逆事件を起した人であります。それから「内村鑑三与謝野晶子などのような人たちがいました。」こう書いてあります。これは私たちから見れば、一方的な取扱いだと思うのであります。これは偏向だどうだということになれば、議論はございましょう。しかしこういうような一方的な教え方というものは、中正な教育のあり方ではないというように考えます。

佐々木秀世

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