2018-04-18 第196回国会 衆議院 法務委員会 第9号
委員御指摘の、世上、大津事件、大逆事件、虎ノ門事件と言われている三つの事件でございますが、これらは明治、大正の時代に判決された事件でございまして、既にその判決から八十年から百二十年経過している事件でございます。
委員御指摘の、世上、大津事件、大逆事件、虎ノ門事件と言われている三つの事件でございますが、これらは明治、大正の時代に判決された事件でございまして、既にその判決から八十年から百二十年経過している事件でございます。
それから、これもまた教科書に出ているんですが、大逆事件ですね。余り説明するまでもないのかもしれませんが、幸徳秋水ほか二十五名、死刑判決や無期懲役の判決が出た。この事件性については、相当の議論がこれまでなされてきたことは皆さんも御存じのとおりである。
それから、翌年に大逆事件というのがありました。その際は、証拠調べもなく、皇室に対する罪ということでみんな有罪になっていきました。これに対しても原さんは非常に疑念を感じられました。
それから第二点に、もう一つ、明治四十三年の大逆事件というのがありました。幸徳秋水等が天皇暗殺という容疑を掛けられて、証拠調べもなしに死罪になっていくと。この二つがこの陪審員制度の導入の大変なインセンティブになっていると、これは三谷先生の御著書にはそういうふうに書いてあります。
迅速な裁判というと、これは大日本帝国憲法のもとでありますけれども、一九一一年、明治四十四年一月十八日に大審院の特別刑事部がいわゆる大逆事件の被告人二十四人に死刑判決を言い渡した事件がありました。
私はきょう、それの一番わかりやすい例は何があるかというのをいろいろ考えて幾つか例を持っているけれども、例えば一九一〇年に幸徳秋水などが死刑にされたあの大逆事件というのがあったのですね。
私は、安部磯雄先生に質素なる生活、永遠の心という教えを受けましたが、大逆事件や何かいろいろな波乱万丈の中にいて、一貫して社会主義の道を守った安部磯雄さんには特徴的なものはないけれども、実証主義的な政治形態を早稲田の伝統につくった点においては、大山郁夫教授と同じく、小野梓先生と同じく、非常に私はりっぱなものが残されていると思います。
依然として重大な疑惑が解明されないまま処刑をされたということについて、私は彼のためにもかわいそうに思うし、ほんとうに心の痛む思いがするのですが、大逆事件を思い出さざるを得ないということさえ言われている。 ところで、この事件に関連をして、なぞの解明について聞きたいことは山ほどあるのですが、これはまた次回の法務委員会に回すとして、赤不動病院の捜索について端的にお伺いしておきたいと思うのです。
大逆事件は明治の末年でございます。そういうようなものにつきまして、その当時の記録が完全に残っていたにしたところで、その記録そのものでもまたどれだけ心証がとれるのかという非常に疑問を持ちますので、ちょっとその点だけ申し上げておきたいと思います。
何だか新聞によりますと、原敬の日記だの、それからもう一つは平沼騏一郎の回顧録、そういうものには、そのときに自分たちは彼ら大逆事件の連中を殺さなければならなかったという事情が書いてあるそうです。私それは見たことがないのですけれども、新聞にははっきり原敬と平沼騏一郎の名前が出ています。それは軍の要請あるいは強制によって、死刑ということを決定したということが考えられる。
○神近委員 私は、例の大逆事件の再審拒否について多少お尋ねしてみたいと思います。 この坂本清馬という人の特別抗告がこの間また拒否された事件についてであります。あなた方お若いから、大逆事件が起こったときの世相というものは御存じないのじゃないかと思うのですけれども、いかがですか。
それこそ親切が欠けているということ、そのために再審は――ごらんなさい、大逆事件の坂本清馬というのは何十年間再審を願い出て、もう九十歳近い人が一生懸命やっている。そういうときに、少し人間的なものをあなた方はお持ちになることができないのかどうかというように考える。再審が排撃された近い例は徳島のラジオ商殺し事件でしょう。
○寺田最高裁判所長官代理者 いまお尋ねの点でございますが、先般吉田老のときにも、当時の名古屋高等裁判所におきましては、御本人が非常に老齢であられるということを考慮しまして特別の計らいで非常に手続きを進めたというふうに、これは仄聞しておるわけでございますが、ただいま神近委員御指摘の大逆事件関係の事件につきましては、これは私、直接にいま詳細な資料を調べて持ってまいったわけじゃございませんが、聞いておりますところによりますと
○神近委員 この大逆事件が、日本の軍国主義時代に巻き起こされた非常に怪しげな事件だということはもう歴史的に証明されているのです。それで私はほんとうに親切な審理が行なわれるならば、これは無罪になるのではなかろうかというようなことをだれもかれも描いているわけなんです。それで万一これが無罪ということになったときに、この再審を請求していた人は二人でありました。
○神近委員 私の頭にきているのは、おっしゃるとおりにまだ審理中で再審の過程にありますけれど、背、私どもがまだ女学生のときに大逆事件という事件があったのです。この坂本清馬という人はいま八十二歳なんですよ。かなり老衰しておられるから、あしたにもどうかというふうな老齢になっていられる。それがまだ再審が遅々として進んでいない。
先ほど、この大逆事件の刑の執行を終わった直後において、議会の予算委員会でこの事件についての質疑が行なわれたというお話がありましたが、その委員の政府に対する質疑の重点はどういうところにあったのでありましょうか。
そうしますと、大逆事件のところは確かにあるのだけれども、四、五枚のところ白紙になっているというわけです。結局、検討してみたものの、戦時中で結論が出ないまま白紙になっておるというお答えでございました。宮内庁の編纂官は芝葛盛とおっしゃる国学者の方で、そのための資料が宮内庁の図書館の中に保存されているはずでございます。
○猪俣委員 法務大臣もお見えになっておりますが、再審の事件の進行につきまして、やはり検事の意見というものは相当重要でありますが、法務大臣としては、この大逆事件の再審開始について検察官がむやみに反対しないようにお願いしたいと思いますけれども、大臣の御感想を承りたいと思います。
○猪俣小委員 今裁判官の官僚性を相当論じられて私ども同感でありましたが、あなたも検事の肩書を持っておられる検事出身者であられますが、実は明治、大正にわたりまして天皇政治が極端な時分の天皇の名における裁判の時分、そういうことに対して幸徳秋水の大逆事件なんというものが今再審のあれになっているわけです。それから先ほど説明されました占領中における裁判、これに対して相当再審の道の要が出てきた。
そのころは、まだ幸徳秋水のいわゆる大逆事件の影響が残っておって、労働組合の結成には、今日では想像もできないような迫害と弾圧を伴ったのであります。松岡君は、それに屈せず、社会正義に燃える情熱をもって勇敢に行動されました。
長官はそういう点はぜひ変えていきたいということでありますから、二重橋というものは日本の一つの歴史的なものでありまして私はこれをどうこうとは思いませんが、ほかの門ぐらいはもっとフリーな状態で——むしろ天皇に対する国民の考え方はあの圧政の道具とされたときには大逆事件がありあるいはいろいろな事件が陛下に対してもありましたが、終戦後どこにいらっしゃってもおそらくそういうことはないと思う。
あるいはまた「幸徳秋水」、これは明治大帝の暗殺大逆事件を起した人であります。それから「内村鑑三、与謝野晶子などのような人たちがいました。」こう書いてあります。これは私たちから見れば、一方的な取扱いだと思うのであります。これは偏向だどうだということになれば、議論はございましょう。しかしこういうような一方的な教え方というものは、中正な教育のあり方ではないというように考えます。